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教えから学びへ

著者 汐見稔幸

発行 (株)河出書房新社

2021年7月30日 初版発行

東京大学名誉教授 白梅学園大学名誉教授

(1)なぜ、いま教育がいきづまっているのか

教育を根本的に捉え直し、本当に子どもたちとって楽しく必要なものに変えるためには、何のために人は学ぶのか、その理由や目的を考え直す必要があります。

正解を求めるのが学ぶ目的ではありません。正解などない。ではなぜ学ぶのか。それを問い続けることこそが、学ぶ目的と言えます。だからこそ、死ぬまで私たちは学び続けなければならないのです。

「なぜ人は学ぶのか」「何のために学ぶか」を問うことは、「どう生きるのか」を問うことです。

人間が深いところで求めているのは、「生きているっていいな」という感覚です。この感覚を得るためには、自分の自己実現(自分のやりたいことを実現)と社会の自己実現(社会がその構成員の多くを幸せにできる)が必要です。

人間は、この二つの自己実現を結びつけて考えられる唯一の動物です。人間は、自分だけが幸せになることはできません。みんなが幸せな社会を目指します。

学問には、分化していく法則性がありますが、分化したものは再び統合していくことが必要です。近代の学問は、統合が忘れ去られました。

近代、人間は、見えない世界や数値化できないものを対象から外していきました。心の深いところにある情報処理の部分は学問になりにくい。

日本の近代の教育は、たくさんの知識を身につけている人や論理を上手く使って思考する人を優秀だとしてきました。東洋道徳とも言える魂の世界を切り離し、西洋技術だけを教えてきました。

(2)教えの教育から学びの教育へ

教師が子どもたちを啓蒙する教育の時代は終わりました。なぜなら、「これさえ覚えておけば正しく生き、いい社会を作る力を身につけることができると確信を持てるものがなくなったからです。

教師の役割は、「教師が知識をどう教えるか」ではなく、「子どもたちの学びをどう育てるか」になります。

これからの世代に必要なとされる能力として、OECDは、「エージェンシー(変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任を持って行動する能力」という概念を重要なキーワードとして発表しました。当事者性(自分はその当事者であるという感覚)と訳します。

(3)学びと教養

学びとは、脳の中に情報処理の回路が新しくできることです。一つは、新しいことを知ることもう一つは、新しいスキルを身につけることです。

新しいことを知ることは、以下の三つのレベルに分けられます
❶言葉・名前を知る
❷対象の属性を知る
❸現象の背景にある法則を知る

学びの目的は、自分が生きている世界や社会の課題を知り、その先に夢や希望を見出すことです。

三つの教養論
❶教養とは、分化した知識をつながりのある知識にすること
❷教養とは、関心の発展的なシステムを持っていること
❸教養とは、全体との関係で自分や自分の知識を位置づけること

以上を踏まえて、教養とは、知をより大きな世界へとつなげていく態度や姿勢のことです。

(4)学びは、体験から始まる

主体的・対話的で深い学びとは、主体的な学び、対話的な学び、深い学びの三つの要素が含まれています。

言葉は、本来「心を揺さぶる」ものであり、知識を増やすためだけにあるのでありません。
言葉の意味には、語義(meaning)と意味(sense)の二つがあります。

語義meaningの上に、意味senseが重なって、発酵していきます。
意味senseは、時間や経験の影響を受けながら、深まり、変化していきます。

人間にとって「学ぶ」とは、「意味」の世界が経験によって深まり重層化し発酵していくことです。その人らしく生きていくためには、私にとっての「意味」の世界を豊かにしていく必要があります。

知識の語義meaningに、自分の経験を通して蓄えた意味senseをまぶしながら、記憶していくことが必要です。

人間というのは、問いと答えの間を何度も行き来しながら、自分でゆっくりと世界に価値づけていくことでしか、自分の心の深いところまで納得するようには育たないのです。

(5)学びを支えるための教育

効率のために思考する時間をカットしてしまえば、意味senseの世界が豊かになることは、絶対にありません。

「すぐに役立つ知識を教えない」ということも、これからの教育において大事なポイントとなります。

授業には、lessonとstudyの意味がありますが、今後は後者の意味になります。何か面白いものを見つけて夢中になって調べるということです。

一方的に言葉を教え、覚えさせるのではなく、その子が体験している世界に言葉を丁寧に添えるということが何よりも大事です。

語義だけではなく意味をわかって使えるように、「体験知」を増やしていくことが大切です。
体験知とは、体験しながら五感を働かせ、匂いを嗅ぎ、触り、時には痛い思いをし、嬉しい思いをし、そのものを知っていくことです。

「子どもたちが没頭する、熱中する時間をつくる」ことが教育です。心を揺さぶるような授業をしなければ、子どもの可能性を引き出す教育になりません。

(6)学びは続くよ、どこまでも

いま学校で習っていることが、この先も常に正しいとは限らないです。

「それはなぜか」と考え続け、自分なりに納得のいく意味の世界をつくり出していくことで、新しい仮説ができる。それが学びの大事な要素です。

考え続けられる人間は、自分にとっての意味の世界によって、語義の世界を超えようとしていると言えます。
これからの教育には、学びの個別化(個別最適な学び)と共同化(多様な他者と協働する学び)の原理が組み込まれていることが望ましい。

正解がない問いに対して、デザイン力とアート力で解決していくのが、深い学びの一つです。デザイン力とは、社会と対話しながら解につながるアイデアを見つけていく力です。アート力とは、自分の感情を上手く形にしていく力で自分との対話から生まれます。

(7)感想

アフターコロナを見据えて、人生百年時代の課題は、働き方、生き方、学び方をリデザインすることだと考えていますので、著者の以下の言葉に共感をしました。

「なぜ人は学ぶのか」「何のために学ぶか」を問うことは、「どう生きるのか」を問うことです。

今こそ、学ぶ目的を突き詰めることによって、子どもたちの未来への希望が見えてくるのではないでしょうか。

最も印象深くかつ心に響いたのは、以下の言葉です。言葉の語義をわかりやすく教えることが今までの教育だとすると、正解のない時代には限界があります。

人間にとって「学ぶ」とは、「意味」の世界が経験によって深まり重層化し発酵していくことです。

今後は、子供たちに良質な経験をさせて、自分と対話しながら経験をsensemaking(センスメイキング)して自分の解をつくる学びを育むのが、教育の有り方(教師の役割)になるのだと思います。

山口周氏は、これからの社会では「役に立つ」ことより「意味がある」ことの方が、価値があると指摘しています。教育の有り方も同じだと思います。

役に立つ教育(知識偏重型、効率重視)から意味のある教育(子供の感情を揺さぶり、寄り添う経験型)へとシフトしていくのだと思います。

発酵という言葉にも意味深さを感じます。発酵には時間がかかります。著者の言う問いと答えの間を充実させることだと思います。

人の成長には時間がかかりますので、教師は、子ども達を信頼して忍耐強く係わる度量が必要になります。

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