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観察力の鍛え方

著者 佐渡島庸平

発行 SBクリエイテイブ

2021年9月15日 初版第1刷発行

(株)コルク 代表取締役社長

(1)観察力とは何か?

観察力とは、客観的に把握する技術と組織的に把握する技術の組み合わせと見ることができる。

観察を阻むもの(以下の三つの要因)から考えてみます。この三つを「メガネ」と呼んでいます。

❶認知バイアス(=脳) 
➡認知が変わることで世界の見え方が変わる。良い観察は、既存の認知に揺さぶりをかける。

❷身体・感情(=感覚器官)
➡観察は、感情によって変わる。

❸コンテクスト(=時空間)
➡人間の脳は、注意をある一点の固定化してしまうので、時間と空間を同時に注目することができない。

メガネを理解することで観察を促進すれば、メガネは武器になります。
観察力こそが、様々な能力に繋がるドミノの1枚目です。

(2)「仮説」を起点に観察サイクルを回せ

メガネを意識的にかけかえなければならない。この「意識的なメガネ」が仮説です。
仮説は、観察の最強の道具(武器)です。

仮説とは、頭の中のモヤモヤしたものです。仮説は言葉から始まります。
仮説があると、答えを探すつもりで見ることになるので、主体的に見ることにつながり、観察が進みます。

いい観察が行われると、問いが生まれ、その問いから仮説が生まれます。そして、次の新しい観察が始まる。その繰り返しによって、対象への解像度が上がります。

自分の解釈、感想を事実と思ってしまうと観察は止まります。
「抽象➡具体➡抽象」の作業を繰り返すことで、観察の質は上がります。

思いついた仮説とデータを見比べる時には、客観的になる必要がありますが、仮説を作る時には、思いきり主観的になる方が良いです。

真似るとは、仮説を立てるという言葉と限りなく同義だと言えます。
真似をして型が身につくと観察の精度は上がります。

仮説を作るには、何らかの立脚点が必要になります。それが、モノサシで、常にブレない価値観の比喩です。ブレないからこそ、モノサシを道標として仮説と現実の差を観察することができます。

(3)観察は、いかに歪むか


とくに、観察を歪ませるメガネが、認知バイアスです。これは、自分の思い込みや周囲の環境といった様々な要因により、非合理な判断をする心理現象です。

この認知バイアスから逃れることはできないので、認知バイアスを自覚することが大事です。

認知バイアスを武器に使います。
❶確証バイアス➡信念を補完し、思い込みを利用する
❷ネガティビティバイアス➡悲観を準備する力に変える

❸同調バイアス➡軸がぶれないようにする、心理的安全性を確保する
❹ハロー効果➡レッテル貼りをせずに、今の相手を見る

❺生存者バイアス➡成功者の話を真に受けない
❻根本的な帰属の誤り➡問題の原因を人の能力に求めない
❼後知恵バイアス・正常性バイアス➡現代の魔女狩りとは何か

(4)見えないものまで観察する

物語によって、見えないもの(感情と関係性)に気づく能力を鍛えることができます。
感情とは、自分が今、何に注意を向けているかを自覚するツールです。

例えば、怒りは、大切なものがおびやかされることに注意が向いているので、「自分は何を大切に思っているのか」と問うてみます。すると。無意識に大切にしているものに気づくかもしれない。

感情を観察して、今注目していることを手放すと自然と感情が変わって、行動が変わります。

感情という概念は、混合感情と情動という概念に分かれます。情動とは、本能に由来する心の動きです。

混合感情とは、複数の基本的な感情を同時に感じている状態です。たとえば、愛は、信頼と喜びが混合した感情です。物語の中で混合感情を知り、現実の中で観察したい。

関係性こそがその人の本質であり、関係性が変わると個人のあり方も変わります。人は、関係性の中でのみ力を発揮します。

哲学者オルテガは、「私とは、私と私の環境である」と定義しています。

(5)あいまいのすすめ

ギリシャ哲学のエポケー(判断保留)とは、絶対を諦めることだ。わかったと思った瞬間にエポケーと発し、再度観察を始めます。

できるだけ無意識で動きたいというのが人の本能です。本能は、人が無意識で自動操縦で生きられるように導きます。

一方、観察は、無意識で行っている行為を、意識下にあげることなので、観察は、本能に抗おうとする行為です。

既知のことを手放すとあいまいな世界になります。あいまいな世界は、不安であり、居続けるには勇気が必要です。絶対の反対は、相対ではなくあいまいです。

あいまいさは、自らの観察によって発見しにいき、それをそのまま受け入れなければいけない。多様性のある社会とは、あいまいさを受け入れる社会です。

正解主義の中にいると、「すること」にとらわれます。なぜなら、したことが正解であったかどうかの判断ができるからです。

あいまいさを受け入れることは、「すること」に注目しない。「どういるか」を観察して、「あり方(相手のためにどういるか)」について考えます。

正解主義の中にいると、過去と未来にこだわるが、それを手放し、あいまいさを受け入れると今だけに集中することができます。

観察への愛がないと観察ができません。対象を判断せずに観察を続けられるのは、相手への信頼に基づいた愛です。

(6)感想

著者の知(観察力)に対する探求プロセスを語られた物語を読んでいる感覚に陥った。ビジネス本として期待していた方には少し欲求不満が溜まったのでないでしょうか。

確かに、書名に「やり方」とあるので、ハウツー本と捉えられますが、中味は、著者が知の格闘をしているドラマです。

特に、第5章の「あいまい」に終幕があったことは、奥が深いと思います。著者の哲学というか世界観が生み出されていて感銘を受けました。

私は、キャリアのメタファーとして「間(ま)」という言葉(漢字)を使いますが、これは、
キャリアは、人間関係、時間、空間でデザインされるものだからです(三つに共通しているのが間です)。

この間(ま)は、「あわい」とも読みます。物事の両極にある捉え方の中道的なものをイメージしており、中間にあるグラデーション、つまり「あわい」を味わうようなキャリアを意識的にデザインすることを提言しています。

「あわい」は、混沌(カオス)でもあり、創造的なものが生みだされると思います。
以上のような理由で、「あいまいさ」と「あわい」は相通じるものがあり共感した次第です。

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