BLOG ブログ

14歳からの個人主義

著者 丸山俊一

発行 大和書房

2021年11月1日 第一刷発行

NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー

(1)この社会の中で「自分」を失わずに生きるための「個人主義」とは

個の軽視、目指される効率的な解決など、結果を急ぐゆえの集団主義は、同調圧力と言われる空気となって深く浸透し続け、自分を見失うことになります。

共感が商品になってしまう時代には自分を見失います。この商品は、使用価値で人の主観によって決まるので、素晴らしいから高いのではなく、高いから素晴らしいと思い込む現象を生み出します。自分が何か欲しいのかという視点でも自分を見失ってしまいがちです。

他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです(夏目漱石)。人真似や他人本位では幸せになれません。漱石が悩んだのは、「自らが生涯を賭けるに値する仕事は何か」ということです。

漱石に「自力で作り上げる」覚悟が生まれた瞬間、自分の根本となる、ゆるぎない考え方、その核心をつかんだと感じた時に、自らの感覚に正直になるという確信を得ました。

自分の個性を発展させていく自由が、生きていくうえで、生きていくエネルギーを生み出すために最も大事なものです。

他人の考え、他人の個人主義も尊重するからこそ、自分の個人主義も貫くことができます。個人主義は、自分勝手とは違います。

(2)「みんなと同じ」から離れる勇気

自己紹介で語られる「自分」は、どこかでつくられたものです。自分とは関係なく、ひとり歩きする自分がいます。

「自分が思う自分」と「まわりの人が思う自分」とは、すれ違います。悩みのほとんどは、このような人間関係にあります。

「変わらない自分」と「変わり続ける自分」。人は、この綱引きに中で平衡状態(動的平衡)を保つように、ひとりの人格としての「自分」を保っています。

いまを歩く、いまを生きるという実感と、自分のペースを知るということが、個人主義の精神につながります。

恥ずかしいという感情ほど、自分らしいと結びついているものはありません。それは、美意識の目覚めです。本当の自分に出会う入口とも言えます。

自分の新たな面、発想は、「自我(=エゴ)」ばかりではなく、社会の中での対話から生まれる「自己」を受け入れていくことで、育まれていきます。

インターネットで、誰でも簡単にSNS発信ができるという利点がありますが、反面、人々を疑心暗鬼にさせ、不安や葛藤を生み、何よりひとりの人として、独自のかけがえのない人生を歩んでいく力を削いでしまっているとしたら残念なことです。

さびしさから「共感」を求めるようなSNSの誤った使い方が、社会を幼稚化させているという影の部分にも注意すべきです。

以上のように、様々な問題が複雑化した現代社会では、自己の喪失の問題を解決するためにこそ、過去を学ぶ意義が生まれます。

(3)自分の中にある2つの「自分」との向き合い方―ラカンとフロムから学ぶ―

【ラカン】
子どもが、初めて鏡の中に像を見出す段階(鏡像段階)で、鏡の中に見つけ出したイメージこそが自分自身だと思い込んでしまう錯覚が、人間の自我の認識のすれ違いの始まりであると指摘します。

この経験が、自分で自分が把握できない感覚の原点とも言えます。現代の鏡が、SNSの世界です。自分のアカウントは、自分ではありません。

【フロム】
人間の動物にはない精神的な特質して、人間は「自らを意識できた最初の動物」と指摘しています。

「近代人における自由の二面性」があると指摘しています。自由を与えられることに対して、同時に孤独や責任を受け取ることも課せられます。

いつの間にか、孤独や責任に耐えかねて、自由から逃避してしまう(自由からの逃走)。
フロムは、人間という存在に内在する矛盾を指摘したとも言えます。

矛盾とは、動物としての人間(本能)と精神としての人間(理性)の二層構造になっています善に従って生きようとするとともに悪を望んでしまう存在です。
この矛盾、葛藤を解決するためには、連帯感、一体感、所属感を得ることです。孤独に耐えられない弱さゆえに、集団との同一化へと走り安心しようとする性向をフロムは「悪」だと定義します。悪とは自分を失うことです。

「善」は、私たちの存在を、自分たちの本質へと近づけるものであり(成長のシンドローム)、その一方「悪」は、存在と本質を引き離していくものです(衰退のシンドローム)。

自分らしさとは、あなたしかできない矛盾の解決のしかたであり、解決しようともがく姿そのだと言えるかもしれません。

(4)自分の基準を外すということ―老子と荘子に学ぶ―

【老子】
水のように流れに身を任せることこそが、むしろ自分というものを保つことにつながるという思想です(無為自然)。自分を主張しないからこそ自分を持ち続けることができます。

自然の中に一体化する時に自分の枠が外れます。

【荘子】
社会の常識や世間にある価値観にとらわれすぎて、自らの存在を不自由にさせる考え方から解放させます。

ものごとを自然のままに任せて、心を自由に遊ばせ、いかんともしがたい必然に身を委ねて、己れの内なるものを養い育ててゆくのが、最良の方法です。

(5)あるがままの「自分」に向き合う―モンテーニュとパスカルに学ぶ―

【モンテーニュ】
「人間はだれでも、人間としての存在の完全なかたちをそなえているのである」
➡人間は、誰でもが不完全、むしろだから豊かで、だから美しい。いまある自分自身を
肯定できる感覚を持つ。

あるがままの自分を見つめ、受け入れる精神に、モンテーニュの真髄があります。
モンテーニュの思想は、「私は何を知っているのだろうか?」と自分の人生に問いかける気持ちを持ち続けることです。

【パスカル】
「君はもう船に乗り込んでしまっているのだ」
➡自らの思考を通して人生を肯定せよ。人生という船に乗り込んでしまった以上、私たちは賭けなければならない。

理性で論理的に思考する「幾何学的精神」と、心の動きを直感する「繊細な精神」の両方があってこそ、人生を引き受けていくことができます。

さらに、理性と直感、両者のバランスが生み出す中庸の精神も、この時代の思想家たちの特徴です。

(6)おのずから「自分」は生まれる―鈴木大拙と西田幾太郎に学ぶ―

【鈴木大拙】
「人生とか人間性というものが矛盾しているというよりも、矛盾その事が人間性であるのだ」(禅が教える人間社会の矛盾)
➡そもそもこの世の姿が矛盾そのものと考えれば、腹を立てたり悲しんだりすることもない。

この世には自分の想像を超えるものがあるかもしれないという「畏れ」の感覚を大切にします。

【西田幾太郎】
矛盾を同一としてみなすことが、この世界の現実をみるということです(絶対矛盾的自己同一)。

矛盾が生じるのは、人間がある枠組みでものごとを整理し分けようとするからです。

(7)自分を解き放つということ

美しさに魅せられた瞬間、すべてを忘れ、我を忘れて対象に没入することは、個人主義による美意識を実現しています。その瞬間、人間が抱える本質的な矛盾、葛藤から解放された、自分を感じることができます。

自分を持った人間だからこそ、自分を失うような美の境地に入れます。

(8)感想

個人主義という言葉ですぐに思い出すのは、著者同様に、私も夏目漱石の「私の個人主義」です。
夏目漱石が「自らが生涯を賭けるに値する仕事は何か」という点に悩んだと指摘がありましたが、その答えを出すためには、「自分とは何者か」という根源的な問いかけをせざる負えません。

大学生に、就活に向かう心得として、doingではなくbeingを大切にするようにアドバイスしています。前者の意識では、ハウツー本を読むことからスタートして、会社を選ぶ基準が外的基準になります。一方、後者の意識は、自分の声を聞く(内省)からスタートするので、会社を選ぶ基準は内的基準になります。

このボタンの掛け違いは、これからの会社人生に大きく影響すると思います。自分を失ったまま社会に出るのか、自己認識を高めて社会に出るにかは大きな違いです。

前述した根源的な問いかけを、大学生には、「自分企画」という言葉で伝えていますが、
いままで、doingという教育に浸かって今があるので、マインドセットに苦労する大学生を多くみてきました。

著者のいうように、14歳から個人主義に目覚めていけば、この見えない壁を乗り越えていくことが可能ではないかと思います。

CONTACT
お問い合わせ

ご意見やご要望などは、お気軽にお問い合わせくださいませ。