はじめに
2021年2月7日、アドラーの誕生日に拙著を出版しました。
はじめて、世の中に、新たなキャリアデザインモデルを提言できました。読者の方がどのような評価を下すのか楽しみでもあります。
はじめて、世の中に、新たなキャリアデザインモデルを提言できました。読者の方がどのような評価を下すのか楽しみでもあります。
(1)アドラー心理学との出会い
私のアドラー心理学の出会いは、何気なくタイトルに引かれて購入した「嫌われる勇気」でした。本に吸い込まれるように一晩で読み切ったことを、八年も前ですが今でも鮮明に思い出します。
当時は、地方の中小企業に出向して、経営者として楽しく仕事をしていましたので、現場感覚とアドラー心理学が、自分の心と体の中で共鳴したからだと思います。
この本を購入していなければ、今の自分がないわけですから、まさしく私にとっての予期せぬ偶然の出来事であり、人生の転機となりました。
当時は、地方の中小企業に出向して、経営者として楽しく仕事をしていましたので、現場感覚とアドラー心理学が、自分の心と体の中で共鳴したからだと思います。
この本を購入していなければ、今の自分がないわけですから、まさしく私にとっての予期せぬ偶然の出来事であり、人生の転機となりました。
(2)第二の人生と執筆活動
そして、定年二年前に、自分の第二の人生をどうするかを思い描きました。かなり悩みましたが、独立(グロナビを設立:https://gronavi.net/)することを決断しました。その時に、会社人生のけじめとして、今までの経験から学んだことをまとめた卒論を書こうと思ったことが、拙著を書くきっかけです。
はじめの一年目は、自分の経験を言語化する習慣を身につけました。毎日、原稿用紙一枚を書くノルマを自分に課しました。野球で言えば、千本ノックを受けるイメージです。「塵も積もれば山となる」というように、一年で本一冊分の文字数にはなりました。
その後、岩井先生からアドラー心理学を学び、前述した本を読んだ時の感動が蘇ってきました。自分の経験から学んだことを歯車に喩えれば、その歯車の一つ一つが一気にかみ合って大きく動き出した感覚になりました。この感覚が、この本を書く原動力になっています。改めて、アドラー心理学の凄さを実感しました。
はじめの一年目は、自分の経験を言語化する習慣を身につけました。毎日、原稿用紙一枚を書くノルマを自分に課しました。野球で言えば、千本ノックを受けるイメージです。「塵も積もれば山となる」というように、一年で本一冊分の文字数にはなりました。
その後、岩井先生からアドラー心理学を学び、前述した本を読んだ時の感動が蘇ってきました。自分の経験から学んだことを歯車に喩えれば、その歯車の一つ一つが一気にかみ合って大きく動き出した感覚になりました。この感覚が、この本を書く原動力になっています。改めて、アドラー心理学の凄さを実感しました。
(3)スパイラル・ハイブリットモデル
拙著では、「しゅうかつモデル」と「ある・なる・いる式の人生設計」を提言しています。このモデルのベースは、アドラー心理学とキャリアデザインを掛け合わせものです。
①しゅうかつモデル
しゅうかつモデルは、就活、習活、充活の三つのしゅうかつが動態的(行動的)にスパイラルアップする成長モデルになります。就活は、働く目的と自己認識を深めた働くことを大切にする活動を、習活は、社会が求める人財になる活動を、充活は、自分を磨きよりよく生きる活動を意味します。
②ある・なる・いる式の人生設計
ある・なる・いる式の人生設計は、しゅうかつモデルをメタ認知(モニタリングとコントロール)する存在論的にスパイラルアップする統制モデルです。具体的には、就活では、自分はどう有(あ)りたいのか、習活では、自分はどう成(な)りたいのか、充活では、自分はどう意(い)たいのか(意味的存在になること)を自分自身に問いかけます。
これを、漢字と英語で表現すると、「有る(be)-成る(become)-意る(being)」で、Beには存在、Becomeには相応、Beingには本質の意味があります。
これを、漢字と英語で表現すると、「有る(be)-成る(become)-意る(being)」で、Beには存在、Becomeには相応、Beingには本質の意味があります。
③スパイラル・ハイブリッドモデル
最終的には、この二つのモデルは、スパイラル・ハイブリッドモデルとして統合されてブレない骨太の自分軸を形成します。このプロセスが、人生をより豊かにするキャリアデザインになります。つまり、自分らしい自分を生き切ることです。
最後に
今までは、Knowing或いはHaving(知識の蓄積)やDoing(実践行動)が問われてきましたが、コロナ禍だからこそ、自分のあり方、つまり自分はどうありたいの(Being)が問われているのではないかと思います。拙著が、これを導き出す羅針盤となれば、筆者としてこの上ない喜びでもあります。